manynoneko’s diary

知ってる事をジャンルに関わらず投稿してます。

お城の話

日本には約5万個のお城がありました。

そのほとんどが山城で、有名どころのお城のような平城はむしろ少数派という事らしいです。

5万と言う数字は、コンビニや歯医者さんより多い計算になり、2〜3百人の人間がいれば大体一個お城があったと言われているようです。

 

子どもの時、なぜか一時お城にはまり、お城のプラモデルを買って組立ていました。

プラモデルはメジャーどころのお城がやっぱり人気で、大阪城名古屋城、姫路城なんかを買った記憶があります。

 

現在、国宝に指定されている天守閣は5つ。

松本城犬山城、姫路城、彦根城松江城です。現存する天守は12個で、うち5つが国宝ということになります。

 

死ぬまでに、せめて国宝五城は見たいと思い、北から順番に巡っています。

しかしながら、見れているのは松本城犬山城だけ…

今年こそ、彦根城と姫路城に行きたいと思っていますが、行けるかどうか分からない感じです。

 

松本城

f:id:manynoneko:20190611010432j:image

美しいですね!

 

国宝に選ばれるための条件に明確なものはないらしく、規模や歴史的価値など、総合的に判断して、国宝もしくは重要文化財に指定されているようです。

お城巡りと言うと、当然天守閣メインで見るのが普通だと思いますが、わたしは、石垣やお堀も好きです。

組んだ石が美しいと言うのもありますが、大きく深い石垣プラスお堀はなんとも言い難い迫力があります。

この石垣を忍者がどう登って行ったのか、なんて事を妄想しています。

 

理由はわからないのですが、お正月にお城を見たくなります。

神社にお参りに行く感覚でお城に行きたくなります。

それは、わたしだけでしょうか?

 

お城といえば、戊辰戦争で新政府軍に攻撃されてボロボロになっている会津若松城の写真をご覧になったことがありますか?

当然白黒でぼやけた写真なのですが、八重の桜ファンのわたしとしては、心が痛くなる写真です。

会津若松と言えば、白虎田の悲劇が有名です。

子どもの時見た、年末年始の〇〇夜連続ドラマの白虎隊は今でも鮮明に覚えています。

お城が燃えてると勘違いした白虎隊員が自決してしまうシーンは、子どもながらに衝撃でした。

その翌年か翌々年にやった、年末年始の大型ドラマ五稜郭は、主な登場人物のほとんどが、新政府の主要ポストに就いた。で締めくくられているので、何となく救いがあるのですが、白虎隊にはそれがなかったので、後味が悪いような、見終わった後、なんか変な気持ちになります。

因みに、五稜郭に入城していた、元新撰組土方歳三箱館戦争五稜郭付近で戦死したそうです。

 

 

噂レベルのしょうもない話ですが、太平洋戦争の時、旧幕府軍に加担した地域の人は最前線に送られ、薩長を中心にした新政府軍に加担した地域の人は、比較的近場で従軍していたなんて言ってる人がいました。

本当かどうかわかりませんが、明治元年から太平洋戦争まで、およそ70年しか開いていないと考えると、明治維新当時の価値観が、太平洋戦争開戦時まで続いていても不思議はないかなって思います。

ところで、

浜松城近辺には三方原の合戦に因んだ地名がたくさんあります。

三方原の合戦とは、上洛しようとしていた武田信玄が、徳川家康の居城である浜松城の近くを通るってことで起こった、徳川VS武田の戦争で、徳川家康がコテンパンにされたことで有名です。

それに因んだ地名とは、例えば…

命からがら逃げた徳川家康が、お腹が空いたた途中の餅屋で餅を盗んだところが→小豆餅

お代を貰おうと追いかけて来た餅屋のお婆さんに家康が捕まってお金を払わされた場所の地名は→銭取

やっとの思いで浜松城に着いた家康が、武田軍の追撃を恐れて、城近くの崖にかかる橋を壊し、代わりに橋に見立てた布を張っていたところは→布橋

とか、なかなかロマンのある地名です。

あと、浜松には、新居の関所を通らないルートの事を姫街道と言って今も残っています。

女性が関所を通るのは大変だったため、姫が関所を通らずに迂回する道の事を姫街道と呼ぶのですが、直接的なネーミングの割になんかセンスがあると思ってしまいます。

 

話が逸れましたが、今年こそは、国宝五城の1つはせめて見学に行きたいと思います。