病気と戦う
何か大きな病気や怪我をしてしまった場合、その、治療方法って誰が決めていますか?と、質問した場合、ほぼ全員がお医者さん と答えるのではないでしょうか?
患者である私たちは、医療業界ではズブの素人ですので、当然、専門家であるお医者さんに、全てを委ねるのが普通だと思います。
もちろん、お医者さんに、どのように治療したいかを尋ねられても、なんの知識も持たないわたしたちに、希望要望など出てくるはずもないでしょう。
先日聞いた話です。
なにかの病気になってしまった高校生くらいの男の子。医者に脚を切断しなければ命の保証は無い。つまり脚を切断すればほぼ命は助かる。と言われたそうです。
この、高校生のご両親は悩まれたそうです。当然命は大切で、まだ高校生の年齢で尽きてしまうことは考えられません。
しかしながら、命と引き換えに脚を一本失うというのも、親として、まだ若い我が子の今後の人生を思うと不憫でならない。本心から、出来ることなら代わってあげたいと思ったそうです。
そんな苦悩の中、決断の期日が迫ったある日、ご両親の友人の紹介で会ったコンサルタントの人から、脚を切断しなくても助かる治療方法が有ると聞いたそうです。ただ、その場合、命の保証は五分五分だとも聞いたそうです。切断すればほぼ100%助かるが、脚を残した治療を選択すると助かる確率は50%という事です。
担当の医師は、おそらく、命を助けるという意味で、最善の治療方法を提案したと思われます。しかし、ご両親としては、この後何十年も片脚で生きていかないといけない子どもの人生を悲観して思い悩んでいました。もし、選択肢として、脚を失わない治療方法を知っていたら、こんなに悩まなかったかもしれません。
どちらが正しいという話ではなく、親としてそういった選択肢も欲しかったのでは無いでしょうか?
前でも書きましたが、治療方法は医師に任せきりです。
それは、医師が、プロとして、最善の治療方法を考えて提案してるからだ という前提のもと成り立っています。当然、評判の良い医者や大病院のエリート医師の意見に強い説得力を感じるのは、その医師たちのプロ感を勝手に私たちが信頼に変換しているからでしょう。
しかし、実際、病院など現場の治療方法は、曖昧で申し訳ありませんが… 確か、厚労省だか医師会だかが決めた指針的なものに従って治療をしているようです。つまりは、優秀な医師だろうが普通の医師だろうが、専門機関の決めた治療方針に従っているだけであり、治療法の決定にも、その指針みたいなものの影響が大きいという事になります。
もしかしたら、赤ちゃんから老人まで、同じ病気であるならば、同じ治療方法を提示されるかもしれません。
性別や職業など、そういった事情も考慮してもらえず、何らかの価値観の元決められた治療方法のみを押し付けられてしまうのは、いくら患者側の我々が無知だとしても、なんとなく、納得できません。
最近の癌治療が手術でなく抗がん剤にシフトしたのもそう言った事情によるものかもしれません。しかも、抗がん剤の大半はアメリカ製で、外国に抗がん剤を売りつけたいアメリカの意向によってそう言った指針を出していたとするならなんとなく問題な気がします。
例えば、女性の場合、顔に大きな傷が残るが命は助かる治療法と、命のリスクはあるが顔に傷は残らない治療法があったとしてどちらを選ぶでしょう。
前述した事情が本当のことなら、医師は患者の都合よりも、その指針的なものに従った治療法を選択するかもしれません。
その患者の個別の事情も考慮せず、万人に同じ治療法を提案し、しかも、そのほかの治療法を提示しなかったとしたらそれは最早罪と言えるかもしれません。
そう言った、治療方法を指南するコンサルタントもいるらしいと知った時、病気と戦うという事は、むしろ、命を預けないといけない医師すら敵に回してしまう懸念があると感じました。
法律も、怪しい投資話も、知らない人には容赦なく襲いかかってきます。
その上、病気の治療まで、無知が故に、その後の人生を台無しにしてしまう恐れがあると言うのは、なんとなくやり切れません。