manynoneko’s diary

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高麗と韓国を比べてみました

元寇について調べてみました。

ご存知の通り、モンゴル帝国フビライが日本に対し侵略してきた大事件です。

圧倒的な兵力によって、対馬壱岐北九州を蹂躙され、神風と言われる奇跡的な自然現象によって、日本は滅亡の危機から免れた。そんな感じで学校で習いました。最近は、神風ではなく、日本武士団の戦略と、不慣れな洋上戦で疲弊したモンゴル軍が自滅した戦いだったとの研究もあるようです。

 

当時のモンゴル帝国は東は朝鮮半島、西は東ヨーロッパ辺りまで領地としていてまさに世界帝国規模です。そんな超大国を相手に二度も侵略を凌いだ当時御家人たちはどれだけすごいのだ?と思ってしまいますが、実際日本にやって来たモンゴル軍の大半は高麗人だったようです。高麗は朝鮮半島にあった国でモンゴル帝国の属国でした。上級指揮官はモンゴル人ですが、一般兵のほとんどは朝鮮人です。

 

そもそも何故モンゴルは日本を属国にしたかったのでしょう?日本は大陸から見れば辺境の島国です。諸説有るようですが、

一つは南宋攻略のため後方の憂いを絶っておきたかったから。と言うのが有ります。日本の場所が、当時、実際の場所よりかなり南に有ると考えられていて、南宋に味方されたら厄介だったから。との説が有ります。

もう一つは、属国の高麗王がフビライに告げ口して日本を攻めるよう促した。説も有ります。

 

現在の韓国人は、ホワイト国から除外された後、東南アジアの国々に日本がどれだけ酷いのかを告げ口して回っていました。そう考えると、告げ口もにわかに現実味を帯びて来ます。

 

当時の執権北条時宗は、高麗にスパイを送り、進軍の情報を事前に得ていました。その情報を元に北九州に御家人を派遣し元軍を迎え撃つ準備をしていました。本土防衛に主眼を置いた作戦ですが、九州より大陸側にある対馬には援軍は送られませんでした。

元軍を迎えたのは対馬国主宗助国他約80名の兵です。しかし、モンゴル軍の大軍勢の前にあえなく討ち死に。1人も助かる事なく皆殺しにあいました。モンゴル軍は村という村を焼き払い民間人を虐殺しました。女性はことごとくレイプされ、その後殺されるか、手のひらに穴を開けられ数珠繋ぎに括られ船に連行されました。幼い子供は生け捕りにされ高麗王に戦利品として献上されました。生け捕りにした民間人は、船に括られ盾とされました。命からがらモンゴル軍から山に逃げた民間人も執拗に追い立てられ、見つかると犯され殺されました。 

赤ん坊の泣き声を辿り島民を見つけると、女は犯し、男は殺し、赤ん坊まで残虐な手口で殺しました。

歴史を現代の価値観で語るのはおかしいとは思いますが、ゾッとするような残虐ぶりです。日蓮聖人もこの残虐ぶりを書物で残しています。当時の人から見ても尋常ではなかったのでしょう。

そこでまた思い出すのは、ベトナム戦争での韓国兵の行いです。韓国兵は村という村を襲い女性をレイプし、村人を皆殺しにしました。何百年経っても朝鮮半島人は弱いものに容赦ないです。ここまで来るとお国柄としか言いようがありません。

 

モンゴル軍は壱岐でも同様の殺戮を繰り返し、北九州沖に姿を現します。

モンゴル軍3万に対し御家人たちは1万。モンゴル軍は三方から九州に上陸しました。近隣の町や村では対馬壱岐で行われた残虐行為が繰り返され、生け捕りされた民間人はやはり、盾として船に括られました。総大将を務めた少弐景資は、モンゴル軍の半数ほどの軍勢で迎え撃たなければならなかったが、当時の御家人たちは、戦で武功を挙げて恩賞として土地を貰うことが最大の誉れであったため、承久の乱以降、久しぶりの戦に士気は高く各地で奮闘しました。

個人戦を得意とする日本御家人軍団に対しモンゴル軍は集団戦法で対抗します。武功を焦り単騎で突っ込んでくる御家人をモンゴル軍が取り囲み討ち取るということが繰り返されました。モンゴル軍の弓は小さく射程は短いですが連射ができ御家人軍を翻弄しました。

夜になると、モンゴル軍は、上陸拠点に陣を張るわけではなく自軍の船に撤退して行きます。 

 

朝、沖合にあれほどいたモンゴル軍の船が一隻もいませんでした。全くもってこの不可思議な現象を後から神風が吹いたと理由づけされましたが、モンゴル軍の襲来は11月で日本に台風が接近する事は考えづらいです。

撤退理由ははっきりしませんが、少弐景資の放った矢が敵の副官に命中したとか、船に何らかのアクシデントがあったからだとか、そもそも偵察的な意味合いの強い侵攻だったとか。諸説ありはっきりわかっていないようです。

 

高麗の書物には、日本に攻め入った兵の半分近くが戻らなかったと記されています。

未帰還の全員が戦死したとは考えづらく、神風では無いにしても何らかのアクシデントがあった事は間違いないようです。

 

日本侵攻を事あるごとに進言していたのは高麗王です。そのため、高麗は日本侵攻の前線基地にされ、900隻の船を高麗の資金で建造することを命ぜられます。高麗の若い男性は船の建造に駆り出され、農作物の不作と重なり庶民は非常に困窮しました。さらに、戦地で半数が未帰還になってしまったのですから、働き手にも困ってしまいます。

まさに、高麗王の自業自得なのですが、庶民にとってはたまったものでは有りません。

 

船の建造については、中国式の頑丈な船を作る技術が朝鮮半島には無く、高麗式の船体の耐久度の低い船を建造しました。さらに、期日を優先したことによって、手抜きに次ぐ手抜きにより作られた船は、船同士の軽い接触でも沈没してしまったようです。神風が吹かなかったにもかかわらず、半数が行方不明になった理由が何となくわかります。

現代の韓国でも、船に無謀な改造を施し沈没させたり、外国のダムをおそらく手抜き工事により決壊させたり。今も全く変わっていません。

 

ここまでが、文永の役です。

その後、2回目の侵攻を弘安の役と言います。

大苦戦だった文永の役に比べ、弘安の役は日本軍の大勝利だったようです。

しかしながら、鎌倉幕府滅亡の理由の一つとされる元寇。日本に与えた影響は計り知れません。

一説には、元寇に恨みを持った人達が、その後、倭寇となって朝鮮半島を襲い続けた。とか秀吉の朝鮮出兵の理由として語られたりします。

韓国の大統領が、恨みは千年消えない と演説してました。元寇からまだ600年ほどしか経っていません。

 

まとめ

 

高麗  モンゴルに告げ口し日本侵攻を進言

韓国   ホワイト国の不当性を東南アジアでアピール

 

高麗  現地民を虐殺 無抵抗なものに強い

韓国  現地民を虐殺 無抵抗なものに強い

 

高麗  船手抜き工事

韓国  ダム手抜き工事

 

高麗  他を陥れようと画策するが自分が困る

韓国 GOSMIAの破棄

 

数百年前から全く変わらない人間性です。

仲間に引き入れた国は滅亡しますね。

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